休職のきっかけ3


先週の金曜日時点では、弁護士先生の話では、会社側からは何のアクションもないとのことでした。
たぶん、弁護士を探しているか、内部で協議しているとのこと。
まぁそりゃそうでしょうね。
振り返りになりますが、わたしが在職しながら今回法的措置をとることにした経緯です。(骨川さんの戦略の話がほとんどですが)
1)骨川さんが退職にすることになったことについて私に逆恨み(わたしの部下がよくそのことを言っていました)
2)骨川さんが、この恨み晴らさでおくべきかで、社内で欺瞞工作を実行(メインターゲットである最近会社に入ったばかりで事情を知らない方に架空を信じこませる)
3)そのメインターゲットである出木杉さんと剛田さんは、見事にそのとおりに思い込む。
4)出木杉さん、剛田さんが私を攻撃する。さらに、これから入社する新しい上司(骨川さんの後任の方が入社予定)にも、骨川さんや周囲からわたしの悪評が入ることになり貶めることができる

骨川さんは、私についてプレゼンスを削ぐ程度が目的だったのか、退職に追い込むまでを目的としていたのかまではわかりませんが、確かにある程度の成果をあげつつありました。

ただ、ここまでは、どこの会社でもこういう人はいるし、よく聞く話といえばそういう話です。普通に考えれば組織にはそういう人ばかりではなく、ちゃんとした見識をもっている人も一定いるはずなので、このような攻撃は、いいところ想定の半分くらいのダメージ相手に与えるくらいで終わるでしょう。というより、骨川さんみたいな人が権力を持つところまで、そもそもいかないかもしれません。(ただ、わたしの経験ではどこの会社でも課長まではいく)

では、なぜ骨川さんが多大な影響力を保持することができたかというと、やはりその上司の磯野さんが理由に他ならないと思います。その理由は、また違う記事で書きますが、ダメな組織ってそういうもんです。鯛は頭から腐ると言いますが、そういうもんだと思います。

そしてさらに、わたしが内容証明を送って、法的措置を取る寸前まできたかというと、

骨川さんの攻撃が効きすぎたからです。そして骨川さんも予想していなかったと思いますが、剛田さんのせいです。

わたしが、心身を病む最終的な直接な出来事は、会議ではなくそのあとの懇親会の場面です。
以前のブログに書きましたが、会議中のわたしの”喧嘩してでも”比喩的表現のときの出木杉さんの過剰反応を見て、これは思ったより毒がまわっていると直感的に感じたのです。

そこで、その席でちょっと出木杉さんに質問をしてみました。
「わたしのこと悪く聞いてますよね?」

わたしは、てっきり「ああ、確かに聞いてはいるけどね」程度の反応がくることを予想していました。悪くは聞いているが、まだ確信が持てない程度の反応だとこの普通はこの程度じゃないかと思います。「えっ、そんなの何も聞いてないよ」とごまかす人もいるでしょう。とにかく、目は口ほどに物をいうとはよく言ったもので、言った言葉よりもその時の表情でだいたい程度はわかるだろうと思っていました。

しかし、出木杉さんの実際の言葉はこうでした。

「あぁ、たくさん聞いているぞ(ゴラァ(# ゚Д゚))」

でした。その口調は、この野郎的な、パワハラなんて言葉がない時代の上司が部下を叱責するときそのものでした。

わたしは、予想外の反応に「えっ」となりました。

ここって、飲み会の場ですよ。懇親会ですよ。ここで、それを繰り出したら、場が凍り付くじゃないですか。(実際、凍り付いたと思います)

これはまずい、この場を和ませなければと思い、「どんな風に聞いていますかぁ?」と、あくまでも明るく軽めに返して、出木杉さんに「あぁ、〇〇みたいな話だけどね」と我に返って、いま切れたのは冗談ですみたいに返してもらい、その場を収めることを期待しました。

しかし出木杉さんは、

「そんなこともわからないから、お前はダメなんだ (# ゚Д゚) 」

とさらに凄んできました。

いや、だからここは飲み会の場だから。他の話をしていた、周りの人も完全にこっちに注目になっているでしょ。

さらに、これはまずいぞ何とかしなければならない、もうこれは誰かにその場をとりなしてもらうしかないと思い、
そこで、となりの席の同僚である剛田さんに、「剛田さんも何か聞いていますかぁ?」と動揺を悟られないないように、軽いタッチで話を振りしました。剛田さんからは「わたしも聞いてますけど、こんな話程度ですからぁ。出木杉さんまぁまぁ」的な助け舟を期待したわけです。

しかし、剛田さんとは、なんと「あ”ぁ”、たくさん聞いてるよ」「あんなに言われるなんて、よっぽどだぞぉ (# ゚Д゚)」とヤ〇ザ口調で凄んできちゃったんですね。

内心は、「こいつマジか」と思いましたが、それでも大人たるものこの場の雰囲気を持たせないければいけません。

なので、わたしはあくまでも明るく「いやぁ、こういうことを言っていれる人もいままでいなかったので、それだけでよかったですよ」と言って、その場を持たせようと努力しました。

そんな空気を2人は微塵も感じてくれず、その後も2人から「そんなことがわからないから、お前はダメなんだ」と言われ、出木杉さんから「なんで俺が今この立場にいるかわかるか。必ず結果をだしてきたからだ」と説教を始めてみれば、それに剛田さんが乗っかり「そうだ、そういうものなのに、おまえは結果がでない言い訳ばっかしやがって」や、「立場がないから組織をまとめられないだと」「立場なんて関係ねぇ、なくたってそんなものできるやつはできるんだ。てめえは言い訳ばっかしやがって」など、滑川さんと、もしくは磯野さんと私との間でしか取り交わしてないはずの話の内容を持ち出し、とにかくハチの巣にしてきました。わたしは本当に昭和の入社したての新入社員が説教をされるように同僚の前で辱めをうけさせられ、自尊心も破壊されました。

人の感情は、伝染するといいます。
親が子の前でだれかの悪口をいつも言っていると、その子もその誰かに憎悪を抱くようになります。
反日教育はその最たるものだと思います。
伝染させるその負のエネルギーが大きくなければ、伝染したほうの負のエネルギーも大きくなりません。
なので、剛田さんの言う「あんなに言われるなんて、よっぽどだぞぉ (# ゚Д゚)」のとおりそんなに言ってなければ、本当にそんなにはなりません。

とにかく、その時もうわたしのメンタルは崩壊寸前でした。とてもじゃないが、シラフでなんかいれません。もう本能だけで乗り切るしかないと思って、なのでお酒をたくさん飲みました。

最後は、出木杉さんが、「お前は骨川さんのことについてネガティブなことばかり言いやがって」と言われ、わたしが「それは、正しい事実認識のために事実を言っているだけです」と言いましたが、2人の怒りは収まらないので、「すいませんでした。今後はそのようなネガティブはことは言いません」と謝罪をさせられて終わりました。

忘れもしない、前期の業績査定の通知のときに、骨川氏からプロジェクトについてネガティブな発言が多いと言われたことがありました。彼らにもこのような話をしているのは容易に想像がつきます。

ここまで言っているのか。
わたしの心は、ここで完全にノックアウトでした。

正直言うと、この罵倒が出木杉さんだけであればここまで心が崩壊するまでにはならなかったと思います。出木杉さんは非常に真面目な方のようで、冗談にガチに反応してしまうような傾向があるのは何となく感じてはいました。

剛田さんは、付き合いが短いので当然よくわかりませんでしたが、会議中にもトップ気分が抜けず、わたし部下じゃないんだけどという上から発言もあったので、よくあるマウント取りたがるオラオラ系っぽいとことは何となく感じていました。
それを、見事発揮してくれたのです。
同僚を完全に踏みつけて、上にアピールするのには絶好の機会と捉えて、たぶん張り切って攻撃してきたように思います。
前の会社でも事業部門トップまで登りつめた方です。このやり方で登りつけたのでしょう。完全に昭和にやり方です。

かくして、わたしは出木杉さんからの信用もなく、剛田さんに足蹴に扱われ、そして、わたしが悪であるという固定概念をインプットされた新しい上司が上にくるという、最悪の未来が約束されることになりました。

この追い込まれた状況では、逃げるか闘うしかありません。

しかし、わたしはまだ幸せなほうだと思います。このようなことが闘う理由になるということを認めてくれる時代になったからです。

わたしも、もともとは昭和ブラック時代の戦士ですから、こんなパワハラ(この言葉自体がない時代)・いじめは日常に普通にありました。管理職は部下にいかにパワハラで追い込んで成果を上げさせるかが評価のバロメーターでした。

その時代は、そのようなことがあたりまえで違法の概念すらなく訴えることはおろか、取り扱ってくれる弁護士もいなかっでしょう。さらに終身雇用で転職するやつは社会不適合者の烙印を押される時代でした。
逃げることも進むこともできない中で生きていくしかない時代。わたしもサラリーマン人生のほとんどは、この時代の人間ですが、今考えればとてつもなく大変な時代だったと思います。

とにかく、今はまだこの日の記録を聞くことは無理だと思いますが、もう少し回復したら、聞いてこの日の出来事に向き合えるかもしれません。

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